Jan 24, 2011

地方でも多くの塾講師求人

昔に比べて地方で進学塾が増えてきました。塾講師は大学生がしている場合が少なくないようです。最近では、個別指導塾が多いため、3に近い大学生が親近感が出てくるかもしれません。地方では、アルバイトの求人は決して多くはありませんが、塾講師の求人は常に出ています。学生にはありがたいアルバイトになるかと思っています。
我が家にも小学校2年生になる息子がいます。これで、周りの友達が塾に入り始めているので、我が家もちょっとイライラしています。小学生のうちは塾もいいかもしれないが、もう少し高学年になると、家庭教師が個人の問題を重視するように教えてくれるので、良いように感じます。しかし、家庭教師は教授法の上手な人もいるし適当に時間を過ごす人もいるように感じ、不安だと思います。
 8月6日、「親子で探検!京王線の線路跡をたどる」が行われた。主催は調布市郷土博物館。(調布経済新聞)

【画像】 キユーピー仙川工場の左側建物に今も残る、京王線旧路線跡敷地(関連画像)

 同企画は同博物館で開催されている企画展示「京王線100年と調布」に関連して行われ、親子28人が参加。1913(大正2)年の開業時から1927(昭和2)年まで現路線の北側にあった仙川・調布間の旧路線跡をたどる内容。講師の馬部美佐夫さんの解説で約5キロのコースを歩いた。

 経路は、仙川駅をスタートし、キユーピー仙川工場内の旧路線の敷地跡を見て大正橋を渡る。ここで現路線から北側へと分かれ旧路線跡に入り、住宅街の道路となった専用軌道の急坂を下り甲州街道へ出る。現在は自動車で混み合う甲州街道に、当時は併用軌道が設けられ旧金子駅(現つつじヶ丘駅)があった。この先で旧路線は甲州街道から北側に分かれる。

 ここからは旧路線跡の上をたどることができないため回り道しながら進む。施設の敷地や住宅などが一直線に並んでいる所があり、ここに旧路線が通っていた事を物語っている。さらに回り道をして調布第七中学校まで進むと、校庭の片隅に京王線がこの付近を通っていたことを示す案内板や案内柱が見られる。

 次に旧国領駅の案内柱が立てられている場所を経由し、旧甲州街道の踏切と旧布田駅があったと思われる布田駅前交差点を渡り、現在の布田駅と調布駅の中間地点に到達。ここの鉄道敷地の形は旧路線が北側に向かっている事を示している。さらに進み、現在の調布駅に移転する前の旧調布駅地点を確認し、開業当時の旧調布駅地点にゴールする。

 ツアーに参加した小学校5年生の男子は「暑くて大変だったけれど全部歩けた。大好きな京王線の事や、野川や甲州街道について昔のいろいろな事が分かって良かった」と話していた。


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調布市郷土博物館


 足利市小俣町で毎年8月14日未明(雨天決行)から行われる「小俣石尊山(標高486メートル)の梵天(ぼんてん)祭り」(県無形民俗文化財)の主催者が、祭りで使う「梵天竿(さお)」の杉丸太を山頂に運ぶ担ぎ手を募集している。
 主催する梵天講講元の藍場淳一さん(67)によると、当日午前3時、ふもとの叶花(かのうけ)不動尊で護摩祈祷の後、長さ約15メートルの竿を担いで岩場や急な登山道を約1時間かけ山頂へ。山頂では日の出とともに竿を立てて家内安全や五穀豊穣(ほうじょう)を祈り、若者が競って竿の先に上り幣束や名板を抜き取る。幣束は魔よけになるといわれる。
 重い竿を担ぐのに加え、祭りの道具などを含めて計40人ほどの人手が必要だが、地元の若者が少なく協力者を募ることに。藍場さんは「どんな悪天候でも実施するので来てほしい」と呼びかける。
 希望者は14日午前3時に叶花不動尊に集合。懐中電灯、タオル、水筒など持参。協力者には記念のTシャツのプレゼントがある。問い合わせは藍場さん(電話0284・62・5507)。【古賀三男】

8月10日朝刊

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 ◇避難家族、つらい別れ「恩返しできぬまま帰るのが心苦しい」
 福島第1原発事故で、福島県南相馬市小高区から大田原市の宿泊施設に避難していた会社員、志賀芳信さん(55)の家族が6日、南相馬市鹿島区の仮設住宅に引っ越した。ただ、長女と孫2人の3人を残しての転居となり、家族にはつらい別れとなった。
 一家は3月31日から、長女の由香利さん(32)夫妻と孫の小学3年、皓平君(8)、翔平ちゃん(3)ら9人で大田原市ふれあいの丘の宿泊施設に避難していた。今回引っ越したのは芳信さんと妻の信子さん(55)、芳信さんの父忠さん(84)、母アヤ子さん(78)の4人。
 6日は施設の職員たちに見送られる中、芳信さんが翔平ちゃんを抱き上げ、別れを告げた。離れがたそうにしていた由香利さんも「みんなに会えないのはさみしい」と目をうるませた。
 忠さんは「仮設で知り合いと会うのが楽しみだが、(警戒区域内にある)自宅に帰れないのが残念。原発事故が早く収束してくれないと」と複雑な心境を語った。アヤ子さんは「みんなに親切にしてもらったのに恩返しできないまま帰るのが心苦しい」と話した。
 大田原市への避難家族は、仮設住宅や借り上げ住宅への移動で減少、一時111人を数えたが半数の50人を切っている。【柴田光二】

8月10日朝刊

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